賭博黙示録カイジの作品で、中間管理職の利根川幸雄が話していたシーンです。
本当の自分はこんなものではない、やればできるんだと思いながら何気ない一日をだらだら過ごし、死ぬ間際にこれが本当の自分であり、それだけの人生だったんだと初めて気づかされる、みたいなことを言っていたのを覚えています。
リアルに今生きていることに対して、本来の自分はこんなものではなく、本気を出したら何でもできる理想の自分を描いていても、だらだら過ごしていることで何も発展することなく、そのまま死んでいくことがオチだと言われているような感じがして、初めてこのマンガの一こまを読んだ時には圧倒的衝撃を受けたものでした。
その時は23歳だったのですが、何も目標も持たずに生きていた自分に喝を入れてくれたような感じがしました。
死ぬ間際に「これが本当の自分だったんだ」と思わないように、また今と言う時間をどれだけ大切にしたらよいかを思うようにして今日に至ります。
自分の人生の目標が何かをまず決めているかどうかってとても大切です。
大切ではありますが、それに向かって1歩1歩進んでいるかも大切な事であり、今自分の人生を振り返ってその2点ができているかを考えてみてください。
どちらも無ければ、利根川が言っている死ぬ直前に気づかされる後悔となるので本当に辛い思いをすることになります。
自分は死ぬまでにこれを成し遂げたい、それに向かって行動しているんだという思いで生きているかどうか。
昔に苦労をしたことが今の経験に活かされているとか、苦労をしないと人間うまくいかないということを口にする人がいます。
私はこの言葉が合っているとはあまり思っていません。
確かに苦労をしている人は忍耐力も強いと思いますし、潜り抜けてきた修羅場の数によって人間大きくなるとも思います。
ただ、自分が目標に向かって取り組んでいく際に、苦労しなければならないと思うことはありません。
好きな事ややっていきたいことを目標にして取り組んでいけば、苦労以上に楽しい事も多いわけで、自分がどう感じるかどうかだけの話です。
わざわざ苦労しなければならないと思い込む必要はありません。
自分の目標はやはり人生を楽しめるものであって、苦しめるものではないと思いますし、その苦労も楽しいことがあるからこそ成立するものだと思っています。
私が経験してきた苦労は、それこそ理不尽な上司が理不尽に叱りつけたり、そうした意味が分からない苦労です。
そんな苦労をする必要はありませんし、むしろ避けて通る道だと思います。
それ以外の自分にとってプラスになる苦労はおそらく苦労とは言わないでしょうし、むしろ自分のための経験値稼ぎと言ってもいいと思うような時間ではないかと思います。
そうした時間を過ごすことができれば、仮にそれがお金という価値にならなかったとしても何らかの形で自分の人生にとってプラスになっていると思いますし、そうであれば後悔のない人生を過ごせたと満足して死ぬことができると思います。
単にお金だけ稼いでも、死ぬまで使いきれるかどうか分かりませんし、死んだ後に持ち込むこともできません。
ぜひ悔いのない人生を歩みたいものです。
人生のゴールとはまさに悔いのない人生を送ることだと思います。
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