何をやっても自分はダメで、自分以外の人たちが例えばお金をたくさん持っていたり、すごい仕事に対してもやれてしまう姿を見て自分が嫌になったりすることってありませんか?
自分を卑下することはいくらでもできるわけですけど、実際に人が自分を見たらどう感じているかを客観的にみるのも面白いと思います。
〇〇はできていると思われているが▼▲はできないとか、こういう話は食いつくけど、ああいう話は興味がないとか思われているのではないだろうかと見るわけです。
今回は何が言いたいのかというと、意外と自分と言う存在に対して恐れを抱いている人がいたり、興味を持っている人がいるということなんです。
友人がドイツに行った時の話ですが、ドイツ人ってとにかくガタイが大きくて、背も高いし大人の自分が行っても子どものようにみられてしまっているとビクビクしていたそうです。
ドイツ人中学生と同じくらいの体格ですからね、日本人って。
股下なんか自分の腰あたりまでありますからドンドン自分を卑下してしまうわけです。
そんな中でトサカみたいな髪型をしている人が声をかけてきたりするわけで、とにかく怖いわけです。
言葉もあまり分からないような土地で馴染みの人がいるわけもなく、とにかく孤独と恐怖が襲ってくるような感覚だったそうです。
では、見た目も小さい日本人の友人に対して外国人はどのような感覚だったのかというと、実は中学生のような体格の日本人であっても実際には何を考えているか分からなかったりしているそうなんです。
トサカみたいな髪型の人が声をかけてきたと言っても、外国人にそうやって声をかけてくる人はクスリを売ってくるなど限られた人くらいで、普通は声をかけないみたいです。
要するに日本にいる外国人と同じ感覚なんです。
外国にいたとしても堂々とした振る舞いをしていたら、たとえ小さな体格に見られたとしても不気味な存在であるようです。
孫悟空からみたフリーザと同じですね。
体格が小さくともその威厳やオーラというものが伝わるということです。
本当は自分に自信が無かったとしても、自信があるように見せていくことって本当に大事なんだなというエピソードですね。
ウソでもいいから堂々とした姿を普段の歩く姿勢から見せていくことで、この人は実はすごい人なんだと思わせることはできるわけです。
逆に自信のない姿を見せていると、それを見てつけこんでくる輩もいるわけで、自分が損してしまうようなことにもつながってしまうということです。
自分が堂々としている姿を見せることって実はとても大事な事だと思います。
自信があると見せていくことで、自分に自信がつくかもしれません。
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