欲望が満たされることはあるのか?

 

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 欲が満たされたとき

 

 
 

満足のいくお金を稼ぐことができた、好きだと思っていた人と付き合うことができた、行きたいと思っていたところに行くことができた、などなど人の欲望というものが満たされたときに人はそれで満足するのでしょうか?

 

 

自分が決めた目標に対して達成できた瞬間はおそらく満足するのではないかなと思うのですが、それで終わるのかと言えばおそらく終わらないと私は思っています。

 

 

実に人間というものは欲深いもので、一つの目標が達成されたら新たな目標に向かって新たな欲望を満たそうとするものです。

 

 

一度満たされた満足をもう一度かそれ以上の満足を手に入れようとするのが人間の欲望であって、現状でよいと思う人はただそれ以上の満足を望むことに対して恐れを抱いているからに過ぎないような気がします。

 

 

人の欲望は尽きることなく、肥大化するものだと思います。

 

 

 さらなる欲望を求める虚しさ

 

 

満たされた欲望をさらに満たしていこうとする姿は実に空しく寂しいものです。

 

 

現状で満足をすればそれだけで十分という人ももちろんいるわけですが、先ほども書いた通りでさらなる欲望を求めることに怖くなっている可能性が高いわけです。

 

 

ただ、それ以上に更なる欲望を満たすことへの虚しさを痛感しているのであれば別です。

 

 

お金配りおじさんはその境地に達したのではないかなと思っていて、どれだけお金をもってどれだけ買えるものを買ったとしてもそれ以上に満たされるものがない気がします。

 

 

私が言うと単なるひねくれにしか感じないかもしれませんが、お金以上に友達関係であったり夫婦関係であったり、そういったものが満たされないと人はどんどん大きな欲望を満たそうとするのではないかと思います。

 

 

 お金を稼げる人
 
 

 

 

お金を稼ぐことができる人は何かしら人間関係を犠牲にしていると思っています。

 

 

友だち関係が良かったとしても家族や夫婦関係が崩壊していたり、何かしらの人間関係を犠牲にしているのではないでしょうか?

 

 

逆に家族関係など身内とだけ関係が良かったとしても対外関係が悪い人もいます。

 

 

テレビ受けが悪い人やネット上で炎上されている方はそういうタイプの方なのかなと思うのですが、どちらかがうまくいっていない感じがしていて、どちらもうまくいっていてお金を稼いでいる人は結構稀ではないかなと思います。

 

 

 人間関係を大事にすることが終着点か?

 

 

お金が満たされていて最終的に求めるものはやはり人間関係なのではないかなと思っていて、これが満たされたら人はかなり満足なのではないかなと思っています。

 

 

人間関係をどんどん良くしていこうと際限まで思ったとしても自分が犠牲になることはそれほどありませんし、お金を稼ごうとする欲望と比較しても環境が悪くなることはさほどないかなと思います。

 

 

ただ、お金を稼ぐという意味においてはかなり難しくなってきますから、最初に人間関係を犠牲にしてでもお金を稼ぐ方が良いのかなとさえ感じてしまいます。

 

 

でも、お金稼ぎのせいで自分の若いころの人間関係を犠牲にするというのもイヤですよね。

 

 

本当に欲望を満たすということは難しいものだと思います。

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