意地を通すカッコよさ

 

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 意地を通すと…

 

 
 

意地を通すとどうなるか?

 

 

意地を通すということは自分の意見や考えを決して曲げないことになるので、どこかで誰かとぶつかってしまうということになります。

 

 

これが果たしてカッコいい事なのかどうかを考えていきたいと思います。

 

 

この意地を通すという点で美学を貫いたのは、漫画の世界ですけど「花の慶次」の主人公である前田慶次です。

 

 

天下人である豊臣秀吉にも従わず、自分の意地を通すためだけに生きる姿に秀吉でさえ男惚れする前田慶次に憧れた男性陣は大変多かったのではないでしょうか。

 

 

勝ち戦で戦うことを好まず、負け戦で勝つことを誉とする姿もまた前田慶次がカッコよくうつるのです。

 

 

ただ、自分の意地を通せるほど自分に自信があって力が無いと、ただただ潰されてしまう存在となるために、果たして意地を通すことが本当に良いかということになります。

 

 

 私の勝手な持論

 

 

このように表現をしたら怒られてしまうかもしれませんが、組織の中で生き残りを図ろうとすると意地を通すことは難しく、どれだけ上司のイエスマンになれるかで出世が決まると言ってもいいと思っています。

 

 

だからといってイエスマンがダメだというわけではないですよ。

 

 

ただ、イエスマンになりすぎると出世をした先で自分の力を発揮して人をまとめる力が本当にあるかが疑問ではありますが。

 

 

優秀な人材がイエスマンになることも大変危険なことで、豊臣秀吉の下で活躍した石田三成もその一人だと思っています。

 

 

光成自身は大変優秀な人材ではありましたが、秀吉の寵愛を受けていたことで周りからの嫉妬も激しく、光成の言動が偉そうに見えたことからも彼は大変不幸な道を歩んでしまいます。

 

 

秀吉の死後、光成の考え方に賛同しようにも徳川家康という更に巨大なカリスマ戦国大名にはかなわず、関ケ原の戦いでは徳川家康よりも兵隊の数を多く集めたにも関わらず、まとめきれずにばらばらとなり、裏切られるわ逃げられるわで敗れてしまいます。

 

 

関ケ原の戦いって人望の差が出た戦いだったわけですけど、イエスマンに成り下がった人は上司の威光がなくなったときに悲惨な目に遭うという教訓でもあると思います。

 

 

自分の意地を通さないことで最後の最後に痛い目に遭うということかもしれません。

 

 

 意地を通すリスク
 
 

 

 

自分の意地を通すことは大変カッコイイと書きましたが、一方でかなりのリスクもあります。

 

 

意地を通したことで上司とぶつかってしまって左遷されてしまったり、組織から離れてしまわなければならないこともあります。

 

 

上司とぶつかったりしたら当然ながら上司の方が力があるわけですから、自分に不利な状況に陥りやすくなるのは当然です。

 

 

それでも意地を通した方がよいかどうかと言われると疑問が生じてしまいます。

 

 

ただ、上司以上の人柄と力を蓄えていくことは大切ですし、意地を通すタイミングを見定めることもまた大切です。

 

 

意地を通す前に戦略・戦術を立てなければならないということです。

 

 

 平凡な日常生活の中に生まれる戦場

 

 

こうして考えていくと、私たちの平和な日常生活の中にもしっかりとした戦場があるわけです。

 

 

出世していくために自分の力で数値を上げていくほかにも、上司に気に入られるとかもあるわけですが、逆に上司と対立して勝つための戦いを行わなければならないのです。

 

 

意地を通して生きていくということはそれだけ大変な事であり、自分に自信がなかったり力が無いと太刀打ちできないほどハードルが高いものだということです。

 

 

ただ、自分の意地を通して生きることができれば後悔の少ない人生には近づけると思います。

 

 

様々な努力は生きていく中で必要ですが、自分の意地を通すために努力するか、イエスマンになることに努力するか、極論どちらを選択するかになるかもしれません。

 

 

イエスマンになることの方が労力はそれほど必要ありませんが、周りからの嫉妬や自分自身に力が無いと思われるデメリットもあるので、どちらが良いかと言われたら分かりません。

 

 

ただ、私なら自分の意地を通すほうの道を選んでしまうかなと思います。

 

 

 まとめ

 

 

意地を通す人生だったから組織に馴染めず、経営者となったわけですね。

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