大勢の中で会話をしていると、なんでそんなことを言うの?という人がいます。
その場でわざわざ言う必要がないと感じることをわざと言っているのか、分からずに言っているのかはわかりませんが、その場を崩すような言い方をしたり、言葉自体で不愉快になることを言ってしまうんですね。
特にこの話をするときに厄介だなと思うのは、それを発する人には悪気がないと思っていることです。
だからこそではありますが、「この人だから仕方がない」として問題とせずに終わらせてしまう形が多いのではないかと思います。
または、問題として取り上げてその人にそのことを伝えたとしてもご本人にはほとんどその意味が伝わらず、何度も同じことを繰り返されることが多いです。
不適切なことを発することに対して悪気がない、反省もしないということでもはやどうしようもなくなることがほとんどではないでしょうか。
不適切な発言によって今回オリンピックの関連で会長さんが辞任に追い込まれる事態となりました。
この件で、この人だから仕方がないと思っている人もいたでしょうし、擁護する人ももちろんいたと思います。
しかし、なぜ辞任に追い込まれたのかというと、その言葉の重みに対してオリンピックを開催しようとする人たちには更に重くのしかかる立場であるにもかかわらず言ってしまった点にあります。
何の立場でもない人が不適切な言葉を言ったとしても何ら困ることはありません。
しかし、立場のある人が不適切な言葉を発すると、その人が属する組織全体のイメージが崩れてしまう可能性があり、自分以外の人にも迷惑がかかってしまう恐れがあるのです。
元々イメージの悪い組織にいる方の不適切な言葉であれば問題ないかもしれませんが、今回は特に平和の象徴と言っても過言ではないイベントの運営に携わる人が発することに対して大きく叩かれたというわけです。
会長が辞任されたことでこれまでの問題が終焉を迎えようとしていますが、ここにきて報道側に問題があったのではという声が上がりつつあります。
不適切発言があったことは事実ではありますが、会長自身もそんなつもりで言った覚えはないし報道側が面白おかしく取り上げて一生懸命頑張っている者を降ろしたと。
不適切発言をする人は悪意などさらさらなく、つい言葉にしてしまったことが大きく取り上げられていることに意味が分からなくなっているのです。
ただ、コミュニケーションを取る際には一言一言を注意して発しないと、一期一会を大事にしていくことを考えていけば今の世の中で考えればごく当然なのかもしれません。
ドライブレコーダーなどで証拠として取られてしまう世の中、一言一句がどれだけ大事になってくるかという点でいえば、2,30年前とは全く違う世界になったと痛感しています。
肩身が狭い世の中になって来たとは思いますが、普段から相手に対して不愉快に感じさせる言葉を発しなければよいだけではないかと思います。
今回会長がおっしゃっていた、面白おかしく取り上げているという点も否めないことは確かで、記者もわざと相手を怒らせるような質問をしているなと視聴者側も見ていて思ったのではないかと思います。
そうした質問者側の一言一句も私たち視聴者が確認しなければならないわけで、メディアリテラシーをもっと向上させていくことって大事だなと思いましたね。
そうなっていけば、もし自分や自分の知り合いが何かしらの形で不適切な発言を行ったとしても、どういう流れでそのような言葉になったのかとかも含めて話しやすい世の中になるのではないかなと感じました。
もちろん相手に不愉快な言葉を発しないことが一番ですが、生きている中で絶対に相手を不愉快にしないなんて分かりません。
どんな一言で相手が不愉快になるかなんて分かりませんが、一つ一つ気を付けて言葉を発していきたいと思います。
言葉の重みってもっと感じないといけないですね。
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