嫉妬と聞いてすぐに頭によぎるのはおそらく失恋などの気持ちではないかと思います。
恋愛しているときに、自分と違う人と比較して嫉妬してしまい、自分が自分でなくなるほどの感情が出てしまって、人によっては暴走してしまう恐れもあります。
自分の元から離れていくことが考えられなくなって、引き留めようと必死になればなるほど自分が愚かしく、そんな自分も嫌いになっていくことでどんどん負のスパイラルにはまります。
それは恋愛だけではなく、仕事の面においても嫉妬という感情が生まれることがあり、昨日の大河ドラマでもそれを感じました。
本能寺の変でラストを飾った「麒麟が来る」でしたが、信長と光秀との人間関係で多くの方がネット上でコメントされていました。
これまで光秀は信長に対して怨恨を持って本能寺の変を行ったと解説されていたことが多く、これまでの大河ドラマでもそうした内容で描かれたものがありました。
それが年々光秀の苦悩の下に行われたものだと描かれるようになっていき、今回の麒麟が来るにおいては光秀の古き良き日本を作ることに対する信念がものすごく表れていたと思います。
光秀に対する見方が変わったという人も多いようで、500年前から光秀に対するレッテルが少しずつはがれているような気がしました。
と同時に、信長の嫉妬心もまた今回心に染みわたった人が多かったかもしれません。
お母さんから疎まれて育った信長にとって、自分に目を向けてほしいと願って生きてきたことが楽市楽座や部下への扱いにすべてが込められたいたと考えると非常に複雑な心境になりました。
比叡山の焼き討ちなどの皆殺しをして思い通りの治世を行い、佐久間・林といった重臣たちを簡単に切り捨てて頑張る若手や中途採用組を優遇する点など、一見合理的に見える行動も人から褒められたい、認めてもらいたいという感情の裏返しだったかもしれないと思うと、信長という人物は実は普通な人だったんだと感じるようになってしまったからです。
そして、優秀な部下である光秀や同盟国の優秀な大名である家康に対して嫉妬し、家康に対しては妻と子どもを殺してその後の心情を確かめたり、光秀に対しては今回の麒麟が来るでは放送されませんでしたが母親を人質にしているにもかかわらずその国の領主を殺して母親も見せしめに殺されてしまったなど(この説の真偽は分かりませんが)、人の心を試すような扱いを行ってきたことは事実です。
自分に対する忠誠心を探る動きに対してなのかは分かりませんが、信長の嫉妬から出た行動であったと考えると自然かもしれませんし、嫉妬がいかに人を狂わせるかが分かるエピソードとなりそうです。
私も経験がありますが、嫉妬しているときの心情は決して穏やかではありません。
他のことが手につかないほど気持ちが荒れることもありますし、とにかく冷静な判断もできずに暴走してしまうことは確かかなと思います。
それは先ほども書きましたが恋愛に限らず仕事の面においても変わりません。
「あの人だけなんで出世するんだろう」という嫉妬心からその人に対して嫌がらせをしてしまう人もいるようで、自分が認められないことに対する反動なのかもしれません。
恋愛に関しては自分がこれほど相手のことを好きなのになんで分かってくれないんだろう、という気持ちであったり、頑張っても頑張っても振り向いてもらえない、理解してもらえないことに対して最悪のケースではその人を殺してしまうこともあるわけですよ。
とても冷静な判断だとは思えませんし、人が狂う原因の一つと言ってもいいのではないかと私は思います。
嫉妬しないためにはどうすればよいか?
おそらくそんな手段はないと思います。
なぜなら人は機械ではなく生物であり、種の保存を第一として考える生物である以上は成功に結び付けるための恋愛感情は遺伝的に継続していくことは間違いありませんし、そのために嫉妬する気持ちは取り除くことはできないからです。
機械的に性行為を行っている人は極めて少なく、行為を行う際にはおそらく感情が入り込んでいる状態であり、その状態に入り込むには自分の好きという感情をすべてつぎ込んでいますよね。
その感情を生み出す一つに嫉妬心も含まれているわけですから、これだけを取り除くことは不可能なんじゃないかなと思います。
そう考えると、あくまで嫉妬心をどれだけ最小限に抑えるかが自分の人生を狂わせることにつながない手段ではないかなと思います。
また、幼少期から自信を持たせること、親の愛情を受けておくこと、という条件が付属するとその効果が出やすいかもしれません。
人が人でなくなり、暴走してしまう人を見たらまずは幼少期からどうだったか、これを分析されることが多くなりましたが、結構つながってくることが多いかもしれませんね。
人と比較しなければあまり嫉妬はしないですけど、それも極めて難しいです。
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