本能寺の変から見る複雑な人間関係

 

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 大河ドラマ

 

 

『麒麟が来る』がいよいよ本能寺の変に迫ってきました。

 

 

長年大河ドラマで本能寺の変になると、織田信長の切腹シーンや明智光秀の心境をとらえたシーンが視聴率を稼いでいたと思いますが、麒麟が来るでも同じくらい注目されることになると期待しています。

 

 

また、本能寺の変に至るまでに明智光秀がどういう心の変化があったのかという点も織田信長がかかわる大河ドラマには出てきています。

 

 

今回は明智光秀という大組織の中間管理職がなぜ社長に対して裏切る行為を行ったのかを、現代の会社組織と照らし合わせながら考えてみたいと思います。

 

 

 これまでの大河ドラマ

 

 

明智光秀の出身がどこで何歳なのかということが明確になっていませんが、おそらく織田信長との差が10歳以上離れていて、明智光秀のほうが上だったのではないかと言われています。

 

 

本能寺の変が起こった1582年の時点で信長は49歳。

 

 

人間50年と言われていた戦国時代で光秀は60歳前後だとすると、当時としては長生きですしかなりの老人クラスであったことが分かります。

 

 

麒麟が来るの長谷川さんがあまりにも若い姿であることに違和感しかありませんが。

 

 

明智光秀が信長に対して反旗を翻した理由についてあらゆる説がありますが、その中にこの年齢差も挙げられていて、10歳下の信長の価値観の違いや光秀の年齢的に最後の野望を果たそうとしていた点などが理由とも言われています。

 

 

これまでの大河ドラマでは信長の光秀に対する折檻や扱い方のひどさで光秀が怒ってしまったというシーンがあり、特に光秀が徳川家康を接待する際には腐ったタイ(鮒ずし説濃厚)を出してしまったために信長が酷く怒ったとされるシーンは何度も描かれています。

 

 

この話以外の折檻シーンはバラバラですが、徳川家康を接待する際には信長が怒ったとされる件は文献にも残っている話なのかもしれません。

 

 

また、丹波・坂本(京都と滋賀に位置する地名)の領土を没収して、まだ領土となっていない石見・出雲(鳥取・島根に位置する地名)を与えると言って光秀を窮地に追い込んだことも、謀反につながったとして何度もこのシーンは他の大河ドラマでも使われています。

 

 

今回もこのシーンが本日登場するかもしれませんが、元々信長と光秀の関係は良好だっただけにものすごく残念な結果であると言わざるを得ません。

 

 

会社でいう社長と部長の良好な関係がどのようにして崩壊していくのかを見ているようなもので、とても切ない気持ちになるわけです。

 

 

 信長と光秀の価値観の相違

 

 

信長は超ベンチャー企業の大社長で、日本の古き良き体質や価値観を受け入れず、新しい物好きで超合理主義。

 

 

無駄なことが大嫌いではありますが、実力があれば身分など関係なく受け入れて取り入れていたなど、現代でも十分に通用する考え方をしていたために未来から来た人ではないかとさえ言われています。

 

 

分かりやすく言えば今でいう堀江貴文さんやひろゆきさんのようなタイプだったのではないでしょうか。

 

 

一方で光秀は古き良き体質を受け入れ、天皇から権力を授かった武士の政権が日本全国を掌握して、全盛期の鎌倉幕府や足利幕府のような状態を築きたいと思っていたようです。

 

 

その形を見事に築いたのが江戸幕府であり、徳川家康が祀られている日光東照宮の建物に明智光秀の家紋が残されていることから、羽柴秀吉と戦った山崎の戦い以降、実は死んではいなくて家康の元でアドバイスをしていた説もあるくらいです。

 

 

明智光秀はこれまでの古き良き日本の復興を願う武士であったのに対して、信長はその価値観を平気で壊していた武士とも言えない新しい存在であったのです。

 

 

信長は単に古き良き日本の制度を大義名分の材料にしていたにすぎず、天下統一を目前とした際には天皇しか持たない暦の権利に対しても口を出したことで、明智光秀や朝廷まで信長の存在そのものが怖ろしくなったとも言われています。

 

 

この価値観の違いが本能寺の変を招いたとも言われています。

 

 

 複雑な人間関係

 

 

農民出身の秀吉は古き良き時代の感性にとらわれることなく、信長に対して絶対的信頼を寄せていた部下だったことから裏切ることなく大出世を果たすことができた反面、それまでの重臣たちは信長の価値観についていけずに、力のない古くからの重臣は織田家から追放されるなどで非常に肩身の狭い仕打ちを受けていました。

 

 

これを会社で考えた時に、若き力のあるものがドンドン出世していく姿が素敵に見えても、長年貢献してきた大ベテランがあっという間に追い出される場面を見たらどうでしょうか。

 

 

この会社に勤めても自分はついていけるのだろうか、やっていけるのだろうかと不安になるかもしれません。

 

 

信長のやり方は若者には圧倒的支持を得るかもしれませんが、長年貢献してきた人からしたら脅威にしか思えないかもしれません。

 

 

また、どれだけ力があったとしてもこれまでの価値観を尊重しない態度で接していたら、堀江貴文さんがいたライブドアのように更なる巨大な権力をもって潰されてしまう可能性も十分にあるわけです。

 

 

このように見ていくと人間関係というものがいかに複雑なものかということが思い知らされます。

 

 

相手の立場を尊重し、相手を受け入れながらも自分の言いたいことを主張できる関係性がなければ破綻してしまう可能性が高いということを本能寺の変が示してくれています。

 

 

 まとめ

 

 

人間関係ほど厄介なものはありませんね。

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