自分自身が幼いころから思っている正義感。
私が幼いころに正義のヒーローと言えば、水戸黄門、ゴレンジャーなどのヒーローでしょうか。
巨大な悪に立ち向かっていく姿にあこがれて、自分が正しいと思うことに対しては決して負けずに屈しないでいようと幼心に水戸黄門やゴレンジャーから学んだと思っています。
ただ、社会人になって自分が正しいと思うことが果たして正しいかどうかということに悩んでしまう場面が多々ありました。
私以外にもそうした人はたくさんいたのではないかなと思います。
今回はその点について書いてみたいと思います。
小学生のころに学んだ戦前政治と太平洋戦争。
世界恐慌をきっかけに日本は満州事変を起こして中国に対して満州国を建国し、その流れで軍部が暴走して日本はアメリカとの戦争に陥ってしまったと学習しました。
しかし、大学生のころに深くその点を調べていくと、日本には日本の正義があってそれを貫いて取り組んでいたこと、戦略的に政治家や軍人の甘さが戦争で敗北してしまったなどの点が浮かび上がってきました。
要するに軍人が悪いということに話を片付けてしまっていた小学生の頃のお話とは違っていたわけです。
まあ小学生のころに戦争について分かりやすく説明を学校の先生がしてくれていたのかもしれませんが。
とにもかくにも、日本にも正義をかざしていたのですが、アメリカの力の差で戦争に負けてしまったわけです。
要するに力があるかないかで正義が決まるんだということを歴史を深く勉強してきたことで理解をしたのです。
どちらが正しいかということは正直分からないわけで、勝ったほうが正義、力のあるほうが正義なわけなのです。
これをしっかりと理解をしていないと自分が正義のない側に回されてしまいます。
仕事をしていく中で、自分が正しいと思いながら取り組んでいたとしても、それが会社内や取引先から見た場合に正義があるかどうかは分かりません。
先ほどの考えをもとに考えると、正義を振りかざせるのは力を持っている側にあるわけなので、会社内で正義は社長が、取引先に関してもお金を払う側が正義を振りかざせるのです。
どんなに自分が正義だ、正しい、と訴えたとしても自分に力がなければ意味がありません。
力のある人に正しさを訴えたところで、力のある人がそれは悪だ、正しくないと言ってしまったらそれが通ってしまうしまうのです。
これが世の中なのです。
政治家の人たちもそうではありませんか。
どんなに考えてもコロナの現状を考えたら外出自粛を促すために一律10万円以上の給付をしてコロナを減少させる策が一番良いはずですし、それが一番正しい道だと大多数の人たちが思っていても、力のある一部の政治家たちがそれは違うと言えばそれが正しいとなっていますよね。
私からしたら政治家の偉いさんたちが言っていることに正しさを全然感じないわけですけど、結局は力のある人たちが言うことが正しいことになってしまうのです。
これが社会なのです。
自分の正しさを訴える際にはぜひ力をつけてからにしましょう。
力のない正義は正義ではありません。
力なき正義もまた無力とドラゴンクエスト・ダイの大冒険のアバン先生がおっしゃっていたと思います。
無力で正義を訴えても本当に効果がなく、ただただ空しい結果が残るだけなのです。
じっと我慢をして力をつけてから自分の正義を振りかざすことがベターな方法です。
ただ、ドラレコのように突然ミラクルな力を発揮するアイテムが舞い降りることもあります。
ドラえもんのような夢の道具ももしかしたら発明されるかもしれませんし、タイミングを見計らって自分の正義を出せるチャンスを見失わないように温めておくことをおすすめします。
とにかく自分の正義を訴えて自分がつぶされないようにしましょうね。
正義って時には厄介なものでもあります。
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