ネット上で誹謗中傷をする人は、心底自分に素直な人なんだと思います。
おそらくですけど、面と向かって誹謗中傷されるよりもSNSや手紙の文面で書かれているからこそ、ストレートに傷つくのではないかと思っていて、誹謗中傷の言葉そのものに関しては日常生活で軽く発している可能性が高いかもしれません。
心の中に思っていることをただただ私たちは口にしていないだけで、頭にくるようなことをされると血が上って暴力をする人とさほど変わりありません。
暴力も自分の気持ちに素直に行動しているだけにすぎず、誹謗中傷もそうした行動に対して制御できる力を持っているかどうかなんです。
誹謗中傷を止めることを今は求めていると思いますが、もともと人間にはそうした闇を抱えていると想定したうえで誹謗中傷なんてものが目に見えていないだけであると思って接しているほうが良いような気がします。
もう過去のこととしてか今でも存続しているかは分かりませんが、運動会で競争をせずに手をつないで走るようなことがあるとのことで一時期話題となっていたのを覚えているでしょうか。
競争することで傷つく人がでるのでやめようという動きがあったのですが、これは人間そのものを退化させる動きだと思っています。
自然の摂理は常に弱肉強食であることは間違いのないことで、時には残酷なことも自然界には残っているのです。
人間そのものが自然界の圧倒的勝者であって、そのこと自体を理解していないことがそもそもの間違いです。
もし、そうした共存を求めるのであれば人間の繁殖そのものをライオンの子殺しのように対応していかなければならなくなります。
人間社会において競争をしない対応をとり続けたら、それこそ人間が人間であること自体に疑問を持つことにつながりますから、私はそのことのほうが大変危険なことではないかと思います。
誹謗中傷に関しても暴力に関しても、そもそも存在しているものとして受け入れつつも、いかに自分が強くなるかを追い求めないことにはならないことだと思います。
仮に誹謗中傷や暴力がなかったとしても、人間社会はお金の力で支配されていることは理解しないといけません。
誹謗中傷や暴力ばかりに注目されますが、お金の力を使って召使のように働かされている現実も知るべきではないかと思います。
そうした力に屈しないように自分自身が体もメンタルも鍛えられるかどうかということはとても重要なことなのです。
自分の体やメンタルを鍛えるだけでは守りきれないことも当然あります。
その時に法律や警察力を利用すればよいのですが、その力や知識を十分に把握していないと発揮することはありません。
例えばストーカー事件に関しても十分な証拠がない限りは警察は動きません。
セクハラ・パワハラに関しても同様ですから、その証拠を作るための努力は必要です。
誹謗中傷や暴力に対しても、そうした証拠づくりや抑止力づくりを行うことは大切で、そうすることで自分の身は自分で守るという意識をもつことができるようになります。
警察はいざというときに動いてくれない、ではなくて動いてもらえるだけのことを自分でも取り組むということは忘れないほうが良いと思います。
最終的には人間社会でも弱肉強食であることを忘れてはならないということです。
社会が守ってくれるとか、法律があるからとばかり思っていてはいけません。
気が付いたら自分が被害を受けたとしても何の保障もないということがあるかもしれません。
最初から期待をせずに、自分から自分の身を守ることに徹している人が生き残れる社会であることは昔から変わっていないので、その点を十分に理解しながら生きていかなければなりません。
最後の最後では傷つかないための努力を自分自身でしなければならないと思います。
自分を鍛えて自分に自信を持てるようになろう!
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